母の最期のこと③。

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12/20夜

22時頃、母は鎮静剤で眠りました。

このとき私は数日泊まりこんでで母の付き添いをする気持ちでいました。

母の呼吸は荒くて、口呼吸に見えて心配だったけど、何日か泊まりこむことを考えたら寝たほうがいいなと思い、簡易ベッドで横になりました。

だけど全然寝れませんでした。

定期的に看護師さんが来てくれて、母は痰を吸引してもらったり、体の向きを変えてもらったりしていました。

私は1時間くらいおきに目が覚めて、血圧や脈拍のモニターを確認。

脈拍は夜はずっと90台だった気がします。

数値が特に変わってないことを確認して、寝たり起きたりを繰り返していました。

12/21朝方

4時少し前、

それまで普通の口呼吸の息遣いだったのが、4回くらい「あー、あー、あー、あー」と言ったときがあったんです。

声は聞こえたのだけど、その時ベッドの横に行かず寝てしまっていました。

もしかしたら何か言ったのだろうか・・・と今になって思います。

(その時はもうすぐお別れが来るとは思わず、行かなかったことを後になって後悔しています)

 

4時過ぎ、ふとモニターを見ると、脈拍が40台になっていました。

「低すぎる」と思って母の様子を見ていました。

その時ちょうど看護師さんが様子を見に来てくれ、「脈拍が少しずつ落ちてきていますね」と教えてくれました。

「(お別れ)もうすぐなのかも・・・」と思い、ベッドの横で母の手を握り様子を見ていました。

4時半過ぎくらい、脈拍が0に。

「あぁ、お母さん死んでしまった・・・」と思ったら、また30台に戻り、少しして、また0、また30台・・・っていうのを3回くらい繰り返しました。

その間

「頑張ったねー」

「大丈夫だよー」

「ゆっくり呼吸ねー」

「今日は12月21日だよー、○○(孫)の誕生日だよー」

とか色々話しかけました。

4時45分くらい、0になった脈拍はもう戻らなくなりました。

寝たままそのままという感じな最期でした。

そのまま20分くらい2人でいることができました。

5時頃、先生が来てくれ死亡確認をし、5時5分永眠となりました。

 

※こんなに早く逝ってしまうとは思わず。急なお別れでした。

市内の病院で付き添いできたこと、今となっては本当によかったと思いました。

今回母は入院して次の日に亡くなってしまったのですが、もし数日付き添うとしたら市内の病院だと自宅に戻って子ども達のご飯を用意してまた病院に行く・・・というのがやりやすかったと思います。

市外のかかりつけの病院だと高速使っても往復で2時間半はかかるので、大変だったと思います。

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