母の最期のこと②。

前回のつづきです。

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12/20病院に着いてから

病院に着いてから、待合室の前で待ちました。

しばらくして救急外来の先生から血液検査の結果を見せてもらい、これまでどんな治療していたのかを一通り説明しました。

旦那が子どもたちを連れて病院に来てくれました。

救急外来の処置室に通してもらい、みんなで母の様子を見ることができました。

呼吸器をつけていて、意識はありました。

「喉が乾いた」と言ったので、看護師さんに何か飲ませることができないか聞いたけど、これから検査があるから飲めないということで、口を湿らせてもらうことにしました。

 

消火器と外科の先生とそれぞれお話しました。

2人の先生から「主治医の先生から予後を聞いてなかった?」と。

聞いてなかったので、そう答えました。

母は前から主治医の先生に聞こうとしてたみたいだけど、聞きにくいと言っていてたぶん聞いていなかったと思います。

 

先に外科の先生とお話しました。

先生から身体の状態からもかかりつけの病院に転院せず、ここで治療、緩和ケアにするのはどうかと提案されました。

この時の私は、母はかかりつけの病院での治療を望んでいると思い、そのことを伝えました。

一度かかりつけの病院に確認してもらえることになりました。

 

少し時間が経ってから消化器の先生とお話。

肺にも転移してますと言われ、肺への転移をここで初めて知りました・・・。

母は知らないまま亡くなったと思います。

ここしばらくレントゲンは撮ってないから知らなかったはず。

 

かかりつけの病院に行く件は、

・転院搬送してるときに何かあったら大変なことになる。

(ここからかかりつけの病院まで高速使っても1時間くらいかかる)

・血液検査を見たらかなり状態が悪い。

・腎臓はたぶん機能していないと思う。

・今日、明日何かあってもおかしくない状態。

かかりつけの病院にも確認してもらったようだけど、やはり移動しないでここで治療したほうがいいとのお話で、治療をお願いすることになりました。

 

母に入院するからねと話しかけました。

「お財布」「洗面道具」と言ったので、持ってくるねと返事。

「個室にして、付き添いできるように調整するから少し待っててくださいね」と言われ、母と家族4人、病棟に移動しました。

母の病室を用意してもらっている間、私達は別室で待機。

しばらくして病室に案内してもらうことができました。

旦那と子ども達はここでの母の姿が最後になりました。

 

付き添いの用意をしてこようと私達は一度帰宅。

私が家に帰ってる間、親戚が病院に来てくれていました。

コロナ渦で面会禁止だったのですが、病状がよくないということで先生が2人ずつ短時間なら・・・と許可してくださったらしく、面会することができました。

(叔母たちが何か話しかけたときに起き上がったらしい。せん妄!?)

20時半頃、病院に戻りました。

看護師さんから「呼吸器のマスクとか、点滴の管外しそうになるから・・・、ちょっと様子見ててね」と言われ、様子見。

救急車で運ばれたときに血糖値がかなり低くてそれを上げる点滴をしてもらったのですが、上げると今度身の置き所がないほど辛い状態になるらしく。

呼吸器外そうとしたり、病衣のズボンをおろそうとしたり、ずっと手が動いていました。

先生がきて、鎮静剤を使う説明をされました。

もう話せなくなるけど…と言われた気がします。

だけど、呼吸が荒くて辛そうだったから、そのまま「はい」と言いました。

先生が「〇〇さーん、今ちょっと辛いね、眠れる薬少し入れるからねー」と母に話しかけたら、「あー、あー」と言いました。

これが意識ある母の最後の言葉だったと思います。

鎮静剤を入れ始めたのが21時頃。

最初にこの量を入れますね、と聞いていたのですが、入れ終わってもまだ眠れず。

追加したら手の動きが治まって静かに眠れるようになりました。

22時頃でした。

つづく

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